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「愛」と「恋」の違いは?恋人と愛人について説明できますか?

哲学

「愛」と「恋」の違いは?恋人と愛人について説明できますか?

ある日、日本語を勉強している彼女(韓国人)に「愛が深まるっていうけど、恋は深まるって表現する?」と質問されました。

質問の答えとして「愛は言うけど、恋は深まるとは表現しないよ」と答えました。

僕はこの時に愛は深まるって言うけど、確かに恋は深まるって言わないなと、はっと疑問が湧いてきました。

そして、その流れで「この表現の違いはなんだ?」と2人で疑問になりそこから「愛」と「恋」の違いについての哲学が始まりました(笑)

前置きはさておき、

愛とは何か、恋とは何か人生で1度は考えたことがあるのではないでしょうか。

ネットで調べると「愛とは相手のことを思いやる変わらない気持ちだ。恋とは自己中心的な感情で一時的な気持ちだ」といった感じで定義されています。(愛は恋より深い気持ちだという意見が多いですね。)

ネットの意見を見て、「こういうことだよ!」と自慢げに彼女に説明すると、

ものすごいキラーパスが飛んできました。

そのキラーパスは、「じゃあ、なんで恋人っていうの?」と聞き返されたのです。

この質問と共に僕の頭の中では「愛人」と「恋人」の説明ができなくない?となり、哲学魂に火がつきました。

ネットの定義でいけば、恋人と愛人を説明することができなくないと考え始めました。

そこで「愛」とは何か、「恋」とは何か、「恋人」と「愛人」で考えたときにぶつかる矛盾点を紐解いてきましょう!



辞書から見る「愛」と「恋」の違い

辞書での意味をさっと見ていきましょう。

愛の定義は、

・対象をかけがえのないものと認め,それに引き付けられる心の動き。また,その気持ちの表れ。

・キリスト教で,見返りを求めず限りなく深くいつくしむこと。アガペー

・仏 人や物にとらわれ,執着すること。むさぼり求めること。渇愛。

・他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。

Oxford Languagesから引用

とされています。

それに対して恋は、

特定の異性に強く惹ひかれ,会いたい,ひとりじめにしたい,一緒になりたいと思う気持ち

Oxford Languagesから引用

と定義されています。

これらを参考にして、「愛」と「恋」の定義は、

愛:見返りを求めない相手本位のもの。相手の全てを受け入れて、相手の全てを深く好み続ける。

恋:見返りを求める自分本位のもの。一方的で相手から奪うもので、一時的な感情である。

というものが一般的です。

あるいは愛は真心があるもので、恋は下心があるものと言われたりもしています。

これは漢字で書いたときに心がどの位置にあるかを基準に違いを考えたものです。

愛の場合だと、漢字の心が真ん中にありますよね。逆に恋の場合だと、心の位置が下にあります。

これらの定義で愛人と恋人について、考えたときに違和感を感じますよね。

恋人は一方的に奪う人で、一時的な感情だから一時的な人だ…

愛人は見返りを求めない相手で、相手の全てを深く好み続けれる人のことだ…

何かしっくりと意味が合いませんよね。

納得できない感覚を感じると思います。

みなさんが恋人と表現を使うときには良いイメージで使います。

愛人に対して、見返りを求めないとは言い難いですよね。(肉体的見返りを求める人と言えそうですし)

愛人は自分本位のためにいるんだというイメージが強いです。



謎を紐解く!「愛」と「恋」の違い

では、自分なりの「愛」と「恋」の違いを考えていきましょう。

僕はこれを考える時に、まず言葉のイメージを考えました。

愛・恋という言葉からどういうことを連想できるかを考えてみると、

愛は家族、深い、ペット、結婚、妻といったイメージが出てきました。

それに対して恋は学生、青春、ドキドキ、淡い、可愛い、感情の激しい動き、嫉妬といったイメージが出てきました。

これらのイメージから愛と恋の違いとしては、人生での重要度が挙げられると思います。

人生の重要度を軸にして考えてみると、愛は家族や結婚、妻など人生の中で重要なことを指しており、人生において永続的です。

恋は青春、ドキドキ、感情の激しい動きなど人生の中で見ると感じる頻度の多い感情であり、人生の中で短期間的なものです。

という個人のイメージと辞書で定義されている意味を参考にして定義すると、

愛:相手のことを人生の中で重要な存在と認めて、永続的に好む気持ち。

恋:相手のことを一時的に人生の中で大切な存在と感じる短期間的な気持ち。

と考えられます。
となるとやはりネットで定義されている「愛」や「恋」と似たような意味になりますね。
では、恋人や愛人についてどう説明するか見ていきましょう。


恋人についてどうやって説明する?

まずは恋人ですが、先ほど恋は短期間的な気持ちであると述べました。

つまり、恋人は短期間的な関係の人となり、必ず終わりが来ることになります。

しかし、私たちは彼氏・彼女を恋人と表現するときに短期間的な関係の人と思って表現しないですよね。

となると恋の定義がおかしいのではと思います。

僕もやはり矛盾してしまうのではないかと考えこみました。

恋を再定義するのではなく、ここで深ぼっていくのは恋人についてです。

恋の定義から恋人は短期的な関係の人だと述べることができますが、これは合っていると言えます。

私たちの認識として「短期的な関係の人でなく、恋人と結婚して一緒に人生を過ごす長期的な人じゃないか」と言いたくなります。

しかし、よくよく考えてみると恋人とは短期的な関係なのです。

その理由を解説します。

恋人の終わり方には2つの終わり方が存在します。

1つは別れによって恋人でなくなるパターン。

もう1つは結婚することによって恋人から家族になるパターンです。

1つ目のパターンは私たちがよくイメージしやすいものだと思います。

恋人と喧嘩や考え方が合わなかったりして別れる、つまり恋の終わりですね。

2つ目のパターンは「確かに!」と思える内容なのではないでしょうか。

恋人から結婚して妻、あるいは家族となることで恋人から卒業して、次のステップに進んだと考えられます。

こう考えると、恋人は人生の長い中で見ると短期的な関係の人と言えますね。

この考えだと恋と恋人で考えたときの矛盾点を取り払うことができますね。

では、愛と愛人について見ていきましょう。



愛人についてどうやって説明する?

愛は相手のことを人生の中で重要な存在と認めて、永続的に好む気持ちと定義しましたが、

この定義から愛人の意味を考えると「いや、違うやん」と感じますよね(笑)

僕もこれは絶対にこの定義だと、当てはまらないと思います。

愛人の言えば、不倫相手や浮気相手といったイメージを抱きます。

世間的に見たら愛人は良くないイメージを持っています。

しかし、漢字には愛に人なので良いイメージが出てくるべきなのでは?と思います。

愛の定義をもとに愛人について説明しようと思えばできますが、やはりモラル的なところでNGになってきます。

では、なぜ愛人に愛と言う漢字が使われているのでしょうか…

このモヤモヤした疑問を紐解く鍵は日本の歴史にあります。

昔の日本では一夫多妻制が採られていました。

昔は子孫繁栄して、自分たちの一家を後世に残すことが最重要とされれていた時代では、

多くの妻、現代でいえば公式に認められた愛人がたくさんいたということです。

昔の人にすれば、どの妻も子孫を残していくという観点で人生で重要な存在であり、永続的な関係を持つ人と言えます。

しかし、現在の日本では一夫多妻制という文化はなくなり、1人の男性と1人の女性という文化が主流です。

一夫多妻制から今の一夫一婦に移り変わっていく中で、愛人と言う言葉は世間的に公認されていたのが世間的に非公認なものへと移り変わっていきました。

その移り変わっていく中で、現在の文化から愛人とは悪いイメージのものになったと考えることができます。

つまり、昔であれば愛人とはこの愛の定義に当てはまっていると言えるが、時代の移り変わりによって愛人と言う言葉が文化的に反していくことで悪いイメージになり、今の愛の定義では説明できないものになったとうことです。

愛人には文化的背景が関わっているため、愛の定義に則って現在の愛人を定義するにはそぐわないことがわかりました。



まとめ

以上、愛と恋の違いと恋人と愛人の説明でした!

最後に振り返りをしますね。

愛と恋の定義は、

愛:相手のことを人生の中で重要な存在と認めて、永続的に好む気持ち。

恋:相手のことを一時的に人生の中で大切な存在と感じる短期間的な気持ち。

この定義をもとに恋人と愛人を説明すると、

恋人は別れて恋人でなくなる、あるいは結婚して恋人でなく家族になるといった形で恋人は人生の中で短期間的な関係の人と考えられます。

愛人は昔の文化をもとに考えると、愛の定義を参考に愛人について説明できるが、

現代は一夫多妻制から一夫一婦制に移り変わった文化的背景があるため、愛の定義に反した表現に愛人の意味が変化した。

以上がまとめです。

みなさんは「愛」と「恋」とはどのようなものだと思いますか?

是非、気軽にコメントしてください!



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